作文の思い出

私は文章を書くのが嫌いではないけれど苦手。
うまく起承転結をまとめられないし、自分の言いたいことを上手に表せない。
何より日本語が下手だ。自分の書いた文章を読み返して見ると
「そう」だの「この」だの「その」だのが多い。
「〜と言った」も多いし「けれど」「しかし」も多いな。
じゃあ何語なら得意かと聞かれても困るけれどね。
読書は好きなんだけどな〜。


そんな私でも小学校の頃は作文が少々得意だったらしい。通っていた小学校では毎年一冊文集を出す。
1年生〜6年生までの選ばれた生徒が詩や作文を載せるのだが、私は1年生〜3年生まで載せてもらった。
あとの3年間は?親の仕事の都合で転校してしまったからなぁ。
転校しなかったら6年連続で載せてもらえたかどうかは分からない。


3回書いた作文の中で非常に印象に残っているモノがある。
幼心に傷ついたというか…。
当時私はクラシックバレエを習っていた。母親が「お嬢様に育てたい」と習わせたのだ。
その目論見が見事に外れた事は言うまでもない。


作文はバレエの発表会を書いたもので、お題は「白鳥の湖」。
と言ってもチャ〜チャラララチャ〜ララ〜ララ〜♪の曲に合わせて踊るオデットではない。
その中の「四羽の白鳥の踊り」というやつで、私は四羽の内の一羽に過ぎなかった。

見たことのある人は分かるだろうけれど、四人で手を交差につなぎ、
ンチャッチャッチャチャ〜ララチャッチャ♪の曲に合わせてリズミカルに横へ飛び跳ねていくのが四羽の白鳥だ。
…………私の表現だと、芸術も何もあったもんじゃないな。
ともかく、その作文を書いた私は放課後先生に呼ばれ、文集に載せる為の添削をしてもらった。


先生「う〜ん、この踊りの辺りにもうちょっと動きを付けたいわねぇ。"羽を上下に動かした"って言うのはどうかしら」
私「え…羽は付けていませんでしたが」
先生「ねっ、"ステージに向かって大きく羽ばたいた"でもいいわね」
私「…(だから羽なんて付けてないってば。それじゃ学芸会だよ)」
先生「じゃあそうしましょう」
私「…はい」


本当はこんなに単純な会話ではなかった。
羽に関して「だったわよね?」「だったんじゃない?」「だったんでしょ?」と言葉巧みに誘導し、
幼く純情な私を「はい」と言わしめたのだった。
だって「はい」と言わないと一生帰れなさそうな雰囲気だったんだも〜ん。
かくしてその作文は文集に載り、今でも実家にある。


そういえば転校後の小学校でもコンクールに出すと言って作文を添削してもらったなぁ。
その時は「逆さまつげ」の手術を題材にしたのだけれど、これまた先生の考えた勝手な一文を
さりげな〜く書かされた。
「手術が終わった後、わたしは”泣かなかったよ、お母さん”と心の中で叫びました」
みたいな感じ。
うんにゃ、そんな事は思わなかったぞ。「今年はプールに入れないなぁ。ちぇっ」(夏休みだった)くらいしか
思わなかった。


この話を書いていて思い出したことがある。
眼科で先生に「逆さまつげを直す手術をしようか?」と聞かれたので、私は「嫌です」と即答した。
にも関わらず、「そっかぁ、でも手術しようね」と言われたのだ。
だったら聞くなよ…先生orz